国際保健用語集

用語 医療人類学
概要 (英語訳:Medical Anthropology)
 
医療人類学は「病気とは何か、それはどのような状態を指し、また何が原因で病気になったのかについて人々の疾病観念、病気になったと人々が考えた時病人や周囲の人々がとる対処方法、およびその知識、特定の治療行為をすることを認めたり新たな治療者を養成する制度、またはその治療法を社会が承認したり伝承したりする制度、疾病観念や治療方法と直接結びつく身体観念など広範なものを対象とし、その研究や分析の方法論には文化人類学的方法論を用いる学問」と定義することができる(波平、1994)。医療人類学の発達は様々な学問的、実践的領域の理論や方法論の影響を受けており上記の定義を中核としながらも、その理論、方法論は多様である。国際保健分野においては、医療人類学は地域住民の内なる視点を理解し、健康を促進する諸活動へ結びつける狭義の「応用」的側面が強調されがちである。しかし、文化の相対化という観点から、近代(西洋医学)医療、伝統医療、民間医療などの複数の医療体系が社会の中で共存している「多元的医療体系」の存在の指摘や、健康、病気、生、死、などは単に生物医学的現象ではなく、社会文化的に構築された概念であることなど、近代医療を相対化する現状への「批判」的側面も医療人類学の特徴である。医療人類学には、生態人類学、民族誌的医療研究、批判的医療人類学を含む多岐にわたる専門(下位)領域がある。(松山章子)
用語 参与観察
概要 (英語訳:Participant Observation)

フィールド調査を行う際に、調査地での生活や活動に加わることを通じてその社会の文化の有り様を直接に学びながら情報を得て、共有されている視点や意味の構造を内在的に明らかにしようとする調査手法。調べようとする対象である社会や集団に入り込み、出来事が起きるまさにその現場に身を置き、自分の目で見、耳で聞き、手で触れ、肌で感じ、舌で味わった生の体験を基に報告することがそのエッセンスといえる。そのため、参与観察時にはフォーマルなインタビューを記録するだけではなく、フィールドで自分が見聞したことのメモや記録をするフィールド・ノーツの存在が重要となる。マッコールとシモンズによると、参与観察には少なくとも、?社会生活への参加、?対象地域の生活の直接観察、?社会生活に関する聞き取り、?文書資料や文物の収集と分析、?出来事や物事に関する感想や意味付けについてのインタビュー、の5つが調査技法が含まれる。つまり、参与観察を行うフィールドワーカーは、調査地において現地の社会生活に参加しながら、メンバーと同じような立場で出来事をまさにそれが起こるその現場で観察し、また自分が直接観察できないような(たとえば過去に起こった)事の事実関係に関しては、関係した他のメンバーから聞き取りをすることによって情報収集する。(松山章子)
用語 質的調査、質的調査方法
概要 (英語訳: Qualitative Research, Qualitative methods)

質的調査とは、主に聞き取りの内容を集中して深く掘り下げるインタビューや地域に入り込み観察を行う参与観察などのあまり定型化されない調査方法で情報を収集し、その結果の報告に際しては、数値による記述や統計分析ではなく言葉による分析と記述を中心とする調査研究である。元々行動科学も社会科学も、伝統的には自然科学をモデルにした。しかし70年代に入り社会が急速に変化し、その結果、生活世界が多様化し人間の社会や行動を扱う科学者の前にこれまでにない新しい社会の文脈や視野が現れだした。それまで研究者たちが当たり前のように扱ってきた演繹的方法は、研究対象の多様性に十分に対応できないという認識が高まり、既成の理論の検証ではなく、現象の新たな側面を発見し現場での情報、データに基づいて新たな理論を生成する帰納的方法が注目を浴びるようになる。それまでの実証主義と呼ばれるアプローチを中心とした「科学」的思考法と研究方法に対する異議申し立てが行われたのである。社会の中の現象にアプローチするために厳密に定義された既存の概念と理論から出発し、限定概念を使用する代わりに、問題を大まかに示すだけの「感受概念」を出発点とし、調査対象や物の見方に開放性を持たせるアプローチが質的調査の基本となっている。尚、近年、帰納的方法に加えて 発想法(仮説形成)も提唱されている。質的調査方法は、フィールドワークを中心にインタビュー、参与観察フォーカス・グループ・ディスカッション、体系的データ収集法など多岐にわたる。(松山章子)
用語 フォーカス・グループ・ディスカッション
概要 (英語訳:FGD , Focus Group Discussion)

ある特定のテーマに関して、通常8~10人ほどのグループで議論をしてもらい情報を得るフィールド・ワークの情報収集技法の一つである。FGDには、参加者の議論を促すファシリテーターの存在が重要である。単なるグループ・インタビューではなく、参加者が意見を交わしながら議論をする中で生まれるグループ・ダイナミズムが知見を深めるところに特徴がある。また、できるだけ参加者が同質(性、年齢層、民族、階級、社会・経済的地位、教育レベルなど)であることで、お互いに躊躇せずに自由な議論が出来る環境をつくる必要がある。例えば、性意識や行動などに関して参加者が男女混ざっている場合、互いに正直な意見を述べにくく、また年功序列の根強い社会では、年配者の前では若者は自由に語ることができない状況が起きるためである。また、理想的には参加者は顔見知りでないほうが良いが、フィールドにおいてはこれらの原則を厳密に当てはめるのは難しいこともある。FGDは手続き的に一見容易な手法に見えるが、例えば開発途上国の就学経験のほとんどない農村の女性にとっては、ディスカッションをすることを自体に馴染みがない場合があり周到な準備が必要である。本来のFGDの意義を理解せずに、フォーカスを当てたトピックに対しての議論を促すことができないと、表層的な情報収集に終わってしまう可能性もある。(松山章子)
用語 人口ボーナス
概要 (英語訳 : Demographic dividend)

人口と経済成長の関係については古くから、?人口増加が経済成長をもたらす(アダム・スミスの国富論)、?人口増加は経済成長の足かせになる(マルサスの人口論)、?人口増減と経済は関連がない、といった論があるが、これらは人口総数の増減に注目したもので、1990年代終わり頃から、人口年齢構造の変化に注目し、従属人口に比べて生産年齢人口が相対的に増加することが経済を押し上げる、という人口ボーナス論が登場した。日本の1960年代から1980年代、韓国・台湾・香港・シンガポールといったアジア新興国の1990年代以降の著しい経済発展は、この人口ボーナスの効果を最大限に生かしたことによるものとされ、今後は南アジア、さらにアフリカにおいて人口ボーナスを如何に活用できるかが議論されている。また生産年齢人口の割合が上がる「第一の人口ボーナス」に続いて、高い貯蓄性向がある高齢人口が増え始めることにより「第二の人口ボーナス」が生じるとも言われている。人口ボーナスの計測のために、年齢別の所得、消費、資産や世代間移転のデータが国民移転勘定(National Transfer Accounts :NTA)として国際プロジェクトにより整備されている。(林玲子)
用語 渡航医学
概要 rainman.gif?u_id=53462&sid=118.240.119.42.1622684476146940&revisit=1&target=doc&article_id=2182287&cid=1599&scid=1946&no_cache=393091&vinterval=3&vcount=156&r=https%3A%2F%2Fseesaawiki.jp%2Fw%2Fjaih%2Fl%2F%3Fp%3D2%26order%3Dlastupdate%26on_desc%3D0
(英語訳:Travel Medicine)
 
渡航医学とは「国際間の人の移動にともなう健康問題や疾病を扱う医学」で、旅行医学とも呼ばれている。渡航医学の対象者には、自国から外国へ向かう「アウトバウンド渡航者」と、外国から自国を訪問する「インバウンド渡航者」の2つがある。日本を中心に考えれば、アウトバウンドは海外旅行者、海外出張者、駐在員、留学生、インバウンドは訪日外国人や在日外国人という位置づけになる。欧米諸国では渡航医学の専門医療施設であるトラベルクリニックが数多く設置されているが、日本でも2000年代より、経済のグローバル化や海外旅行ブームとともに、その数が増えつつある。

渡航医学があつかう健康問題としては、自然環境の変化による疾病(気候による疾病、航空機内の疾病、時差症候群、高山病など)や衛生環境の変化による感染症がその代表的なものである。さらに長期滞在者にとっては、生活習慣病メンタルヘルス不全も大きな健康問題となる。また、滞在先での医療機関の受診や医療費の支払いも重要な課題である。

トラベルクリニックでは、こうした健康問題を未然に防ぐ予防対策に重点がおかれる。出国前には健康指導や現地医療情報の提供を行い、必要に応じて健康診断を実施する。ワクチン接種も感染症予防のために重要な対策である。また、帰国後の有症者への診療もトラベルクリニックの業務に含まれる。

国内のトラベルクリニックの所在情報は、検疫所や日本渡航医学会のホームページから検索することができる。(濱田篤郎)
用語 キー・インフォーマント・インタビュー
概要 (英語訳:Key informant interview)

キー(重要な)インフォーマント(情報提供者)に対するインタビュー(直接の聞き取り)である。

人類学では、研究対象となる社会、文化の一員であり調査者が知りたい事柄に精通し、概念、言語、世界観、具体的事例などに関して口述で詳細な表現ができる人のことを指す。

キー(核となる重要な)という言葉から研究対象地域で、地域リーダー、教師、医療スタッフなど、社会的役割を担っている人という意味で誤用されている時があるが、本来は調査のトピックに関して知識がある重要な情報を持っているという意味でのキー・インフォーマントである。

実験における被験者、心理学研究における被験者、アンケートを使う社会調査の回答者と異なる点は、元々長期にわたり調査地域に入り込みフィールドワークを行う研究者に対して、現場において研究者と密接に接触し情報提供を行うことである。

そのため、ラポール(友好的な人間関係、信頼関係)の構築が必須である。また、原則的にはこの様なインフォーマントから十分な情報を得るためには、一度のインタビューでは十分でないため、複数回のインタビューを重ねる必要が出てくる。

通常、構造化インタビューではなく、調査トピックの大まかな枠組みの中で自由且つ臨機応変に質問を行って、インフォーマントやその周辺の人々の考え方、価値観、意見などに対して内容を深めながら聞き取る方法である。その意味ではキー・インフォーマント・インタビューとIn-depth-interviewとほぼ同義語といえる。(松山章子)
用語 人口転換、疫学転換、健康転換
概要 (英語訳 : Demographic Transition、Epidemiological Transition、Health Transition) 

人口転換(Demographic Transition)とは、経済・社会の持続的な発展にともなって、人口が多産多死から多産少死を経て、やがて少産少死にいたる過程を意味する。現在の先進諸国はこの人口転換によって、人口はほぼ一定かやや減少にて転じ、老年人口の割合が高くなってきている。また、発展途上地域では、多産少死の状態がいわゆる人口爆発の原因となっている。

同様に、疾病構造は、周産期疾患や結核など感染症が主体の段階から、肥満、高血圧、糖尿病、がんなど非感染症が主要な段階へと転換する。このような疾病構造の変化を人口転換にならって疫学転換(epidemiologic transition)と呼ぶ。しかし多くの発展途上地域では、この転換がモザイク状で、感染症と非感染症両方からの負担に対応する必要に迫られている。

健康転換とは、この人口構造の転換を基にして、時代とともに人口・疾病構造の変化、保健医療制度の変化、社会経済構造の変化が相互に影響しあいながらある国の健康問題が段階的、構造的に転換することを示すシステム概念である。(兵井伸行)
用語 感染症の根絶
概要 (英語訳:eradication of infectious disease)

感染症の根絶(eradication of infectious disease)とは、計画的な対策の結果、特定の病原体による感染症の発生が、恒常的に、世界的にゼロにまで減少したことと定義される。それに対し、感染症の絶滅(extinction of infectious disease)とは、地球上のあらゆる実験室や自然界から病原体が存在しなくなることと定義される。例えば、天然痘は、世界的な対策によって感染症の発生は完全に無くなったことから、根絶となったが、病原体である天然痘ウイルスは、ロシア及び米国の実験室で保管されていることから、絶滅には至っていない。

通常、ある感染症が根絶されると、感染者を減少させるための日常的な疾患対策は不要となるが、病原体が絶滅されない限り、再発生の可能性はゼロとはならない。そのため、発生監視(サーベイランス)や発生時の危機管理は、継続させることが必要となる。(中島一敏)